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パーソナルAI考 ~そのシステムの目的

人間の生活を助けるパーソナルAI。それは、どんな目的を持ったシステムなのか。

(余談…前回の通り、個人向けのコンピューターをパーソナルコンピューターと呼んでいるのに倣って、ここではとりあえず「パーソナルAI」と呼んでいるが、もっといい呼称は無いかとも思っている。家庭で使われるので 「ホームAI」 とか? )

HAL-9000は、木星へ行く宇宙船の運航管理と、乗組員の生存の安全を守るシステムだった。チェインバーは「パイロット支援啓発インターフェースシステム」で、サポート対象がパイロット(兵士)であるが、戦闘を優位に進めるために、情報的にパイロットをサポートし兵器を管理するだけでなく、パイロットの睡眠を管理したり健康面のサポートもするAIであった。

パーソナルAIも基本はヒトを支援するものであるとすれば、ほぼ同様な目的を持って稼働するモノとなるであろう。 すなわち、マスター(ご主人様)に対して、

  • 生存・安全の確保 (室温調整、防犯や急病時のサポート)
  • 健康維持に関するサポート
  • 情報面のサポート
  • 家電や機器類のマネジメント

を第一目的とする。

このような目的のシステムが、今まで存在しなかった訳ではない。 パソコンは情報面で役立っているし、防犯ならセキュリティシステム、健康管理には体温計や血圧計など。 それらがもっと積極的にマスターに働きかけてくれる。 例えば、非接触で体調を察知する、質問だけで答えを探してくれる、etc。

防犯や体温計については、会話機能は必ずしも必要ではない。 犬は日本語で話せなくても防犯の役には立っているし、エアコンは室温を一定にする。 会話機能は、本来の機能に付随する、対人間のインターフェース機能と言うことになる。

* * *

もう少し「崇高な」ことも考えている。 パーソナルAIが日常的にマスターと会話し、いろいろな話題で議論するようになった世界では、パーソナルAI によって、マスターは犯罪に手を染めるケースもあるかも知れないし、逆に社会的・道徳的に良好な人物としての成長を促されるかも知れない。
できれば、「良好な方向に」 持って行って、社会をより良くしたいものである。 まさに 「マスター支援啓発インターフェースシステム」 だ。

 

パーソナルAI考~はじめに?

computer は “com-” 共に、”-pute” 考えるもの、である。
1983年、大学受験生だった頃、試験に出る英単語を解説する本に、そのように書いてあった。

1980年以降、ワンボードマイコンがパーソナルコンピューターに発展していった頃から、コンピューターを個人で持てるという期待は高まり、現実化し、値段は下がり、今では職場でも、家庭でも、欠かせない物になった。
あれから30年以上が過ぎて、パーソナルコンピューターは、確かに、ものすごく発達した。PC-8001のクロックは4MHz、メインメモリは良くて32Kバイトだったのが、今やクロックは3GHzを超えて、メモリは4Gバイト、16Gバイトと増えている。
それで、この機械は「共に考え」て、くれるだろうか。いや、できていない。

SF映画やアニメなどの中で、人間と会話し、助けてくれる人工知能が何度も描かれている。HAL-9000、KITT、エンタープライズ号、オモイカネ、チェインバー。
いつかはこういう物を、一生の間に、自分で作りたいと思っていた。

メモリもCPUも貧弱だった’80年代から、おそらく多くの人が同じように考え、アマチュアの中でも似たようなことを始めた人達はいた。しかし作られたのは、”人工無能”と自虐した名称の、遊びのプログラムが大半だった。 文字列を入力されたら文字列を返す。 ELIZA (イライザ)という精神科医を装うプログラムはそれ以前から存在し、それをヒントに語彙を増やしたり、予想外の返答をして笑わせたり。
その後、”人工無能”は、一問一答の手順をくずしたり、大量の会話文をヒントに、マルコフ連鎖などを利用して、それらしい返答を返したりして、より人間臭くなったものの、その内部でちゃんと思考している様子は無かった。

人工知能の本流の方では、Prologのような述語論理をあやつるプログラミング言語が現れ、人間も三段論法を使って思考することから、一気に発展するのではないかとの期待が持たれた。日本でも第五世代コンピュータが国家プロジェクトとして立ち上げられたが、結局何が出来たのか我々国民にはよく分からない。
’80年代から’90年代にかけて、人工知能に対する期待は失望に変わったと言われている。三段論法を処理できれば万事OKではなく、もっと大量のデータが必要だったなど、問題点が山ほど残っていたことが認識されたようである。

量が転じて質となる、だけでは無いと思うが、その後、さらにハードウェアの物量は発達し、プログラム言語も手続き型プログラミングからオブジェクト指向、関数型、LL(Lightweight Language)なども普及し、インターネットによって人間同士の情報も大量に電子化された。 チェスや将棋のような限られた分野では機械が人間を打ち負かしただけではなく、iPhone の Siri のように、声で話しかけて質問に答えるようなものまで身近になっている。

さてそれでは、もう何か作る必要は無くなってしまっただろうか?
いや、そんな事はない。 Siri は音声認識こそ優れているものの、その先は結局 ググレカス だし、僕の部屋にもあなたの部屋にも、HAL-9000もチェインバーもいないではないか。

私達の生活に溶け込んで役立つ存在となったパーソナルコンピューターと同様、私達一人一人に恩恵をもたらしてくれる、「パーソナルAI」が欲しい。 果たしてそれは、いったいどういうモノであればいいのか、そして、どう作ればいいのだろうか?

この課題、10年、20年かかるかも知れないけれど、ずっと考えて取り組んでいくつもりなのであります。