直前のエントリは、実はすごく後ろめたい。
それは、「正社員を希望しないから」ではない。 「仕事とは距離を置くと割り切ってしまおう」の部分である。
まず、正規雇用か、非正規か、という点にはあまり意味はない。 労働者は、全員が仕事のアウトプットによって給与や待遇が決まるべきである。 現状はそうなっておらず、様々な問題を抱えたままであるが。
以下のような論考や資料を最近目にした。それぞれ納得できる部分がある。
一応 ブックマークのつもりで列挙する。
「派遣法改正」で本当に正社員の仕事はなくなる? (ダイヤモンド・オンライン)
>「派遣社員問題」は「正社員問題」の裏返し
労働組合は身分差別社会が大好き
>ILO(国際労働機関)が日本に勧告しているように、「同一労働同一賃金」が世界標準のもっとも公正な働き方です。そこでは「正社員」と「非正規」の身分差別はなく、すべての労働者が仕事の内容と能力によって平等に扱われます。すなわち、「誰もが派遣労働者で、かつ正社員」になるのです。
正規社員の解雇規制緩和論(Wikipedia)
>OECD(経済協力開発機構)は日本における労働市場の二極化について、度々、これを是正するよう求めている
エンジニアが、いやそれ以外でも、本来ならば、仕事には本気で、自分の持てる力 100% を注ぎ込んで取組むべきだと、思っている。
しかし、この点、
>自分の人生が目指したいベクトルと、会社のベクトルは、必ずしも一致しない。
>むしろ、一致しなくてあたりまえである。 ならば、もう仕事とは月給の為だと割り切り、
>適度な距離を置いて、あとはプライベートで好きな事をすればいいだろう。
もしもベクトルが一致した所で、必ずしもハッピーになれるとは限らない。
例えばアップルに入社できたとしよう。自分が 「この程度まで作れば十分な完成度だろう」と思ってできた物を、ジョブズかクックが見て、「ダメだ、作り直せ」と、微塵の妥協も許さなかったら、そして、残業して徹夜して取組んでも、OKが出なかったら…?
仕事の遂行には、本人が使命感を持って取り組めればそれだけでハッピーではなく、多くの要素がある。 十分な休養を取れなければ、身体をこわす。 報酬がどれくらいかも要因である。新しい技術の習得について行けないかも知れない。 歳を取れば誰だって衰える。
まぁ、こんな事を色々書くのは、単なる言い訳であることは分かっている。
日本人でも、チャレンジの一歩を踏み出し、実行した人は、ちゃんと居る。
なぜ、ベンチャー企業だけが「新しいコンピュータ」をつくることができるのか
> 清水氏 「(略)大企業の経営者って、要はみんなサラリーマンだから、大きな失敗をしなければドカンと退職金貰えて、豪邸のローンを返せるんです。けど、もししくじったら、経営責任を問われて給料も退職金も返上しなきゃなんない。現場から上がって来たアイデアなんて、経営者にしてみれば、他人の夢ですよ。他人の夢のためになんで自分の身を危険に晒さなきゃならないんですか。だから社長のところまで話が行く前に、握りつぶされるんです。あるときなんかは、社長まで話が行って、号令一下、さあやるぞ、となってプロジェクトが始まったのに、他部署からの妨害でなくなったこともありましたしね。とにかく大企業には政治が多すぎるんです」
全くもって同意・同情する。
私は前職で、まずは周りのベクトルを願う方向へ向ける努力をするべきだったが、結局、組織の空気は、どうしようもなかった。
だから、抜けた。
ならば、清水氏のように自分で起業するなりして、理想を追求しつつ、利益にも目を配りながら、突き進むべきなのだろう。それをやらないで愚痴ってるだけでは、誰かから卑怯者と言われても仕方ないかも知れない。
とはいえ、私は自分が天才でもスーパーマンでもない事は分かっている。能力の限界、体力の限界は自覚している。
有限の能力、有限の実行力、有限の体力を持った、でも夢も少し持っている、自分という存在は、どうすればハッピーになれるのか。
これからも、悩みながら、じたばたしながら、模索していくしかないのだろう。